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東京都北区は昭和22年3月15日に王子区と滝野川区が統合して成立しました。
北区が成立するまで、滝野川は現在の田端・東田端・田端新町・昭和町・上中里・中里・西ヶ原・栄町・滝野川に及ぶ地域の区の名前であった。
滝野川区役所は現在滝野川会館が建っている場所(西ヶ原1-23-3)にあった。
滝野川消防署・滝野川警察署などが旧滝野川区役所があった場所に近い西ヶ原にあるのもこのような経緯があったことによる。
●滝野川区のあゆみ
明治22年市制町村制度となり、それまでの町村は下記のように滝野川村へ統合された。
滝野川村 |
上中里村・中里村・田端村・西ヶ原村・滝野川村 |
大正2年滝野川村が滝野川町に昇格した。
大正12年郡制が廃止され、滝野川町の独自性が強まった。
昭和7年10月1日滝野川町は単独で滝野川区となった。
昭和22年3月15日王子区と滝野川区が統合して北区が成立。
●現在の滝野川
現在の滝野川は、JR京浜東北線王子駅・JR埼京線板橋駅・都営三田線西巣鴨駅を利用することができ、飛鳥山公園・中央公園にも近く、交通の便が良く暮らしやすい場所である。
参考 地図で見る滝野川の歩み
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江戸時代の滝野川
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安政6年 |
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明治時代の滝野川 |
明治25年 |
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昭和(戦前)の滝野川 |
昭和7年 |
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昭和(戦後)の滝野川 |
昭和24年 |
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滝野川の景観今昔物語
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魅力的な建物や地域のシンボルとなる景観
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☆旧醸造試験場のレンガ造りの建物
滝野川2丁目6番
明治・大正の雰囲気が漂う建物です。
明治37年5月7日に大蔵省によって、滝野川に設立された醸造試験場の建物。
醸造試験場は独立行政法人酒類総合研究所と名称及び組織を変更し東広島市に移転しました。
跡地の多くは、民間のマンション用地・醸造試験場跡地公園として利用されています。
右写真の建物は酒類総合研究所がかって使用していましたが、現在は公益財団法人日本醸造協会が管理しています。
そして旧醸造試験場第一工場として国の重要文化財に指定されました。
明治の名建築家である妻木頼黄(日本橋・横浜赤レンガ倉庫など設計)が、ドイツのビール工場を参考に設計した。当時としては最先端の施設だった。外壁のレンガは、日本に現存する建物の中でも、最も古い装飾レンガである。 醸造試験場跡地公園から見る建物は美しく、明治を語る歴史遺産である。
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☆旧三菱銀行滝野川支店の建物
滝野川6丁目8番8号
写真はラッピングされた状態です。
残念ながら、平成16年3月取り壊されました。
又一つ街のシンボル的建物が消えました。
現在、跡地にコンビニが建っています。
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人々のふれあいやにぎわいのある景観
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☆滝野川6丁目34番にある井戸
滝野川6丁目34番10号
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歴史が感じられる景観
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☆金剛寺(もみじ寺)
滝野川3丁目88番17号
江戸時代将軍が岩淵筋で鷹狩をした時に休息所にしたといわれている。
江戸時代、石神井川が滝野川付近で深い渓谷美をつくりだしていた。紅葉の名所として有名であったが、将軍吉宗が100本の楓をこの渓谷に植えさせた為、金剛寺付近は紅葉と滝の名所として有名になった。そのため紅葉寺と呼ばれるようになった。現在は北区が道路に街路樹として楓を植えている。
紅葉寺付近の秋景色
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☆正受院(赤ちゃん寺)
滝野川2丁目49番5号
江戸時代石神井川にあった不動の滝は人気を集め、正受院は参詣客が絶えることがなかった。
江戸市民は正受院で着物を脱いで、何回となく石神井川にはいり、本堂で弁当や寿司を食べて夕方には帰路についた。
江戸時代の人気行楽地であった。
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地域の人たちに親しまれている並木などの景観
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☆板橋駅前通りの桜並木
滝野川7丁目辺り
板場駅前から滝野川桜通り、谷端小学校周囲、南谷端公園周辺に桜並木がつづく。
滝野川七丁目は、滝野川市場通り商店街もあり花見と一緒に買物もできる。
小学校・公園の名に残る谷端川は滝野川では豊島区上池袋との境界を流れていた。豊島区長崎に発し、要町交差点付近から谷端川緑道となり、滝野川・大塚・小石川にいたる。
豊島区内では巣鴨川、文京区内では川底に小石が多かったことから小石川と呼ばれた。小石川の名の由来である。又礫川とも呼ばれたことから、地下鉄後楽園前の礫川公園の名前となっている。
現在谷端川はすべて暗渠になっている。
滝野川市場通り商店街
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自然を肌で感じる景観
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☆音無くぬぎ緑地
滝野川4丁目33番13号
石神井川をはさんで向こう側に
板橋区の板橋東いこいの森がある。
音無こぶし緑地も近くにある。
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☆音無もみじ緑地
滝野川4丁目2番先
ユリカモメなど水鳥が見られる。
遠くに見える橋は紅葉橋。
紅葉橋でユリカモメに餌をやる光景を見ることがたまにある。
石神井川の蛇行点がもみじ緑地となった。
江戸時代
かって王子七滝のひとつ「弁天の滝」がここにあった。
この付近は自然の山水に恵まれ、とりわけ秋の紅葉の名所であった。又弘法大師作と伝えられる弁天像が洞窟内に祀られた松橋弁天洞窟もあった。
滝沢馬琴の『南総里見八犬伝』に犬塚信乃の母手束が子授けを祈った「滝野川なる岩屋殿」と記した岩屋がここである。松橋弁天は岩屋弁天とも言っていた。
現在は滝も洞窟もなくなり、石神井川の遊歩道に掲げられた案内板で昔を知ることができるだけである。滝は昭和初期に枯れて、昭和50年の石神井川の護岸工事で昔の面影は失われた。
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水辺や崖線の景観
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☆石神井川と散歩道
滝野川5丁目〜王子1丁目辺り
音無もみじ緑地付近
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遊歩道沿いの桜が美しい
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☆紅葉橋
滝野川2丁目60番先及び滝野川4丁目1番先
紅葉寺の近く。
道路の並木の楓が秋に紅葉する。
春には石神井川の桜が美しい。
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紅葉橋付近の桜
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魅力ある通りや鉄道の景観
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☆まちを走る都電
右の写真は飛鳥山停留所。
遠くにサンシャインシティが見える。
ここから専用軌道になる。
都電荒川線は早稲田と三ノ輪を結んでいます。東京を走る唯一の路面電車です。
都電荒川線は戦前王子電気鐡道として営業していましたが、昭和17年市電に統合され、更に昭和18年に都電と改称されました。
王子電気鐡道のころは、王子駅前→飛鳥山前→滝野川(現在の西ヶ原四丁目)→庚申塚※と、現在よりも停留所は少なかったのです。
唯一専用軌道の割合が多かった都電荒川線は、保存運動など人々の努力もあり残ることができました。
※現在は、王子駅前→飛鳥山→滝野川一丁目(都電になってから設置)→西ヶ原四丁目(滝野川を改称)→新庚申塚(都電になってから設置)→庚申塚
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滝野川周囲の公園
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☆飛鳥山公園
王子1丁目1番
滝野川1丁目と本郷通りで接しています。
桜の名所で有名。
山の小高い地点に飛鳥明神社が祀られていたため、飛鳥山と呼ばれるようになった。
江戸時代初期まで滝野川村の領域だった。
寛永10年(1633年)に幕府が王子権現の社領とした。
以後王子村の領域と認識されるようになった。
将軍吉宗の治世に、江戸市民の娯楽のためお花見の名所となった。
享保5年(1720年)桜270本を植樹。
享保6年(1721年)全部で1000本となった。
享保18年(1733年)水茶屋10ヶ所花見のため許可された。
以後現在までお花見は江戸市民に定着した。
明治6年(1873年)東京府による公園となった。
昭和40年(1965年)東京都から北区に移管された。
三つの博物館があります。
北区飛鳥山博物館
紙の博物館
渋沢史料館
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広場から見た満開の桜
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本郷通りからも桜が見える
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飛鳥山公園内にある三つの博物館
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☆北区立中央公園
十条台1丁目2番
滝野川4丁目の近くです。
雑木林が美しい公園です。
テニスコート・野球場もあります。
公園の入口が図書館。(下の写真)
その裏が公園となっています。
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中央公園の芝生の広場
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戦前に陸軍第一造兵廠の本部として建てられた。
戦後は米陸軍司令部として利用されていました。 映画やドラマのロケ地によく使用されます
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中央公園にはジョギングコースもある。
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板橋東いこいの森
板橋区板橋4丁目
板橋区立の公園。
滝野川4丁目と埼京線に挟まれた場所。
音無くぬぎ緑地・音無こぶし緑地と
一体的な憩いの場所になっている。
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板橋東いこいの森公園
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旧中山道と新撰組
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